大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成6年(ネ)4745号 判決 1997年11月17日

控訴人(被告) 株式会社トーコロ

被控訴人(原告) 出原昌志

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人の各請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨

第二事案の概要

一  本件は、控訴人に雇用されていた被控訴人が、平成四年二月二〇日に控訴人から解雇されたことについて、解雇が無効であると主張し、控訴人に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めたほか、平成四年四月分から同年一一月分までの賃金合計一六八万円の支払及び同年一二月以降毎月二八日限り二一万円ずつの賃金の支払を求めるとともに、解雇は不法行為又は債務不履行に当たるとしてそれによる慰謝料一〇〇万円の支払を求めた事案であり、原判決は、慰謝料請求を棄却したものの、その余の被控訴人の各請求を認容したため、控訴人が控訴人敗訴の部分の取消を求めて本件控訴に及んだ。

二  争いのない事実等

原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」(原判決三頁三行目から六頁二行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決五頁四行目の「当月二〇」を「当月二〇日」に改める。

三  争点とこれについての当事者の主張

1  争点は、本件解雇が有効かどうかであり、具体的には、控訴人主張の本件解雇事由が認められるかどうか、これが認められるとした場合、解雇権の濫用といえるかどうかであり、これに関する当事者の主張は、2及び3に当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「三 争点」の1及び2(原判決七頁四行目から三三頁五行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。

2  控訴人の当審における主張

(一) 本件残業命令に対する拒否について

(1) 本件三六協定は、控訴人と「労働者の過半数を代表する者」である北條厚(以下「北條」という。)との間で締結されたものである。北條は、全従業員によって組織された「友の会」で民主的に選出された代表者であるところ、「友の会」は、控訴人と労働条件に関する交渉をするなどの労使慣行が存在し、労働組合の実質を備えていたものと認められるうえ、本件三六協定については、社内報や集会を利用するなどして全従業員の意思が反映されるような手続を経て、多数の意見に基づいて締結されたものであるから、北條が「労働者の過半数を代表する者」に当たることは明らかである。したがって、本件三六協定は有効であるから、それが定める限度内の残業を命じた本件残業命令も有効であり、被控訴人はこれに従う義務があった。

(2) 仮に本件三六協定が無効であるとしても、適式に届出がなされており、その内容が法律に反したり、公序良俗に反するものではないから、無効であることが確定するまで尊重されなければならない。そして、被控訴人は、採用されるに当たり、就業規則の説明を受け、控訴人においては繁忙期があり、残業のあることを十分に認識し、これを承諾したものである。また、繁忙期が始まった平成三年一一月初めころに開催された激励会において、これに参加した被控訴人を含む従業員全員が、一致して繁忙期の残業を行うことを承諾した。したがって、適式な本件三六協定の定める限度内で残業を行うことは労働契約の内容となっていたものであるから、被控訴人には本件残業命令に従う義務があった。

(3) 被控訴人が平成四年二月四日に診断書の提出をもって訴えた「眼精疲労」は、被控訴人は電算写植機の操作作業に集中的に従事精励していたものではなく、その作業能率等も劣っていたこと、繁忙期も終わりに近づいたころの平成四年二月になって初めてその症状を訴え、眼科医でない内科・小児科医の診療を受け始めたものであり、他覚的所見もないことなどからすると、控訴人を安全配慮義務を欠如しているが如くに陥れるための工作としてなされた虚偽のものと考えられるから、本件残業命令に従う義務を免除させるものではない。

(二) その他の被控訴人の行為について

控訴人が原審において解雇事由に該当すると主張した被控訴人の行為のうち、本件残業命令に対する拒否以外のものは、被控訴人単独の争議行為又は怠業であり、正当な組合活動とは認められず、労働組合法上の保証はないのであり、したがって、控訴人の業務に対する妨害ないし雇用契約上の債務不履行に当たる。

3  控訴人の当審における主張に対する被控訴人の反論

(一) 本件残業命令に対する拒否について

(1) 「友の会」は、控訴人の役員も加入している親睦団体であり、労働組合ではない。控訴人自らの求人票に「労働組合なし」と記入していることからも明らかである。また、「友の会」が控訴人と労働条件に関する団体交渉をしてきたような事実もない。

本件三六協定は、「労働者の過半数を代表する者」である「営業部北條厚」によって締結されているが、社内報や集会によって全従業員の意思が確認された事実はなく、北條が選出された具体的な方法・手続も定かでない。

したがって、本件三六協定は無効である。

(2) 本件三六協定が無効である以上、それを前提とする本件残業命令も無効であり、被控訴人がこれに従う義務はなかった。本件三六協定が無効であるとしても、被控訴人は本件残業命令に従う義務があったとする控訴人の主張は暴論である。

(3) 被控訴人は、電算写植機のモニターに写る凝縮された小さな文字を凝視するVDT作業を昼休みを除き連続して八時間ないし九時間余り行っていたものであり、既に平成三年九月中旬か下旬ころには眼精疲労を覚え始めていた。被控訴人の眼精疲労がVDT作業に原因していることは明らかである。

二  その他の被控訴人の行為について

争う。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、本件解雇は無効であり、被控訴人の請求は、慰謝料の支払を求める部分を除いて理由があるものと判断する。その理由は、以下に控訴人の当審における主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」(原判決三三頁六行目から六五頁七行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決三四頁三行目の「照会」を「紹介」に、四四頁八行目の「同年一月三日」を「同年二月三日」に、五六頁二行目の「平成四年一二月二〇日」を「平成三年一二月二〇日」に、六四頁末行の「(五点)」」を「(五点)」)」に、六五頁三行目の「(五点)」を「(五点)」)」にそれぞれ改める。

二  本件残業命令に従う義務の存否について

1  いかなる場合に使用者の残業命令に対し労働者がこれに従う義務があるかについてみるに、労働基準法三二条の労働時間を延長して労働させることに関し、使用者が、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合等と書面による協定(いわゆる三六協定)を締結し、これを所轄労働基準監督署長に届け出た場合において、使用者が当該事業場に適用される就業規則に右三六協定の範囲内で一定の業務上の事由があれば労働契約に定める労働時間を延長して労働者を労働させることができる旨定めているときは、当該就業規則の規定の内容が合理的なものである限り、それが具体的労働契約の内容をなすから、右就業規則の規定の適用を受ける労働者は、その定めるところに従い、労働契約に定める労働時間を超えて労働をする義務を負うものと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成三年一一月二八日判決・民集四五巻八号一二七〇頁参照)。そして、右三六協定は、実体上、使用者と、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、そのような労働組合がない場合には労働者の過半数を代表する者との間において締結されたものでなければならないことは当然である。

2  これを本件についてみるに、まず控訴人の就業規則(甲二)によると、通常の勤務時間について定められている(一七、一八条)ほか、「時間外及び休日勤務」として「1 業務の都合で必要のある場合は、時間外及び休日勤務をさせることがある。2 時間外及び休日勤務は会社の指示によるか、又は会社の承認を得た場合に限る。3 前項の場合において、その所定労働時間に対して所定の割増賃金を支払う。」と定められ、業務上の必要がある場合に控訴人の指示により残業が命じられることになっている。

ところで、本件三六協定(甲四、乙一〇〇)は、平成三年四月六日に所轄の足立労働基監督署に届け出られたものであるが、協定の当事者は、控訴人と「労働者の過半数を代表する者」としての「営業部 北條厚」であり、協定の当事者の選出方法については、「全員の話し合いによる選出」とされ、協定の内容は、原判決四頁五行目から五頁二行目までに記載のとおりであった。

3  そこで、北條が「労働者の過半数を代表する者」であったか否かについて検討するに、「労働者の過半数を代表する者」は当該事業場の労働者により適法に選出されなければならないが、適法な選出といえるためには、当該事業場の労働者にとって、選出される者が労働者の過半数を代表して三六協定を締結することの適否を判断する機会が与えられ、かつ、当該事業場の過半数の労働者がその候補者を支持していると認められる民主的な手続がとられていることが必要というべきである(昭和六三年一月一日基発第一号参照)。

この点について、控訴人は、北條は「友の会」の代表者であって、「友の会」が労働組合の実質を備えていたことを根拠として、北條が「労働者の過半数を代表する者」であった旨主張するけれども、「友の会」は、原判決判示のとおり、役員を含めた控訴人の全従業員によって構成され(規約一条)、「会員相互の親睦と生活の向上、福利の増進を計り、融和団結の実をあげる」(規約二条)ことを目的とする親睦団体であるから、労働組合でないことは明らかであり、このことは、仮に「友の会」が親睦団体としての活動のほかに、自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を目的とする活動をすることがあることによって変わるものではなく、したがって、北條が「友の会」の代表者として自動的に本件三六協定を締結したにすぎないときには、北條は労働組合の代表者でもなく、「労働者の過半数を代表する者」でもないから、本件三六協定は無効というべきである。

次に、控訴人は、北條が本件三六協定を締結するに当たっては、社内報や集会を利用するなどして全従業員の意思が反映されるような手続を経て、多数の意見に基づいて締結されたものであって、北條は「労働者の過半数を代表する者」である旨主張する。しかしながら、本件三六協定の締結に際して、労働者にその事実を知らせ、締結の適否を判断させる趣旨のための社内報が配付されたり集会が開催されたりした形跡はなく、北條が「労働者の過半数を代表する者」として民主的に選出されたことを認めるに足りる証拠はない。

もっとも、当審証人北條厚は、本件三六協定を締結するに当たり、まず控訴人から提示された協定案を「友の会」の役員五人で検討したうえ、五人で手分けして全従業員に諮ることとし、右協定案を添付して回覧に付し、全従業員の過半数の承認を得た旨供述し、当審に至って提出された同人の陳述書(乙六八)にも同旨の記述がみられるけれども、この点は当初から争点の一つとされていたにもかかわらず、原審で取り調べた証拠中には、わずかに同人の陳述書(乙三七)中に「友の会」内部で検討したという程度の抽象的な記述があるにとどまり、それ以外に右と同旨のものは全くないのであって、当審証人北條の右供述はいささか唐突の感を免れ難いのみならず、右協定案の回覧結果についての客観的証拠が提出されていないことなどに照らすと、当審証人北條の右供述等をにわかに採用することはできない。

以上によると、本件三六協定が有効であるとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、それを前提とする本件残業命令も有効であるとは認められず、被控訴人にこれに従う義務があったとはいえない。

なお、控訴人は、本件三六協定が無効であったとしても被控訴人には本件残業命令に従う義務があった旨主張するが、独自の見解であり、到底採用の限りでない。

4  仮に、本件三六協定が有効であるとしても、就業規則により、控訴人は、「業務の都合で必要がある場合」すなわち業務上の必要性がある場合に限って残業命令を出すことができることはいうまでもないが、そのような場合であっても、労働者に残業命令に従えないやむを得ない事由があるときには、労働者は残業命令に従う義務はないと解するのが相当である。

まず、平成四年一月三一日の本件残業命令における業務上の必要性についてみると、原判決の判示のとおり、その当時、被控訴人が担当していた住所録作成(組版)の作業は、ほぼ順調にノルマを達成しかかっていたが、同一の部署に属する写植(校正)係では約一〇〇〇頁(四日分)のノルマの遅れが発生しており、控訴人においては、週明けの同年二月三日からアルバイトを二名雇い、被控訴人ら他の仕事の担当者にも残業を命じることによって乗り切ることを考えており、被控訴人の上司である大森主任も、それ以前から被控訴人に対し「組版の仕事を減らして、他の校正などの手伝いでもかまわないから、もう少し残業してもらえないか。」と要請していたことなどが認められるから、控訴人に残業を命じる業務上の必要性は存したものと認められる。

もっとも、本件残業命令自体は、「来週一週間、午後九時まで残業をやりなさい。業務命令だ。」というものであり、残業をすべき仕事の特定がされていないけれども、それ以前の経過等に照らすと、写植(校正)の手伝いを命じているものであることは推認できるものであり、また、本件残業命令は、一週間午後九時までの残業を命じるなど控訴人において業務上の必要性の検討を十分にしていないことを窺わせるような命令の仕方であるけれども、そのことのみをもって残業命令が違法であるということはできない。

次に、被控訴人に本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったか否かについてみると、被控訴人は、本件残業命令に係る初日である平成四年二月三日、「ひらの亀戸ひまわり診療所」(平野敏夫医師)を受診して欠勤し、「眼精疲労・全身倦怠感精査」の診断を受け、翌四日、出勤して控訴人に診断書(甲一一)を提出したが、右診断書には右病名のほかに「当分の間、時間外労働をさけて通院加療が必要である。」と記載されており、現に同月六日、同月一三日に通院加療を受けていること(甲一二)、被控訴人は、平成三年八月下旬ころから住所録の作成(組版)として電算写植機の操作(VDT作業)に従事しており、遅くとも同年一一月一九日ころ以降、長谷川総務部長その他の上司に対し眼の疲れを訴えていたこと、それに対し、控訴人が健康診断を受けさせるなどの特別な配慮をした形跡は全くないこと、控訴人の小林経理部長は、平成四年二月七日に至って、右平野医師に電話をかけ、右診断書の内容について照会し、当分の間、残業を差し控えるべきである旨の回答を得たこと(甲一三、乙三九)が認められる。以上の事実を総合すると、控訴人としては、被控訴人が診断書の提出をもって訴えた眼精疲労等の症状について、これを疑うべき事情はなかったものというべきであるから、被控訴人は、眼精疲労等の状態にあることをもって本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったと認められる。

控訴人は、るる述べて被控訴人の眼精疲労等の訴えが虚偽のものである旨主張するけれども、被控訴人の従事していた作業内容に照らし、被控訴人が眼精疲労等を訴えるのは不自然なことではなく、しかも、被控訴人が平成四年二月三日の前から上司にその旨を訴えていたことは、本件解雇後の交渉記録(甲三四)中で控訴人側がその事実を認めていることからも明らかであり、また、平野医師の専門は判然としないものの、控訴人の照会結果によっても同医師はVDT作業と健康の問題に詳しいことが窺えるのであり、同医師の診断結果の信用性に格別疑問を差し挟む余地はないのであるから、被控訴人の眼精疲労等の訴えを虚偽のものであると疑うことはできず、控訴人の主張を採用することはできない。

したがって、被控訴人は、本件残業命令に従えないやむを得ない事由があったと認められるから、これに従う義務がなかったものというべきである。

5  以上によると、いずれにしても、被控訴人には本件残業命令に従う義務があったとはいえないから、被控訴人がこれを拒否して残業をしなかったからといって、就業規則所定の解雇事由があったとはいえない。

三  その他の被控訴人の行為について

その他の被控訴人の行為についての認定判断は、原判決の判示のとおりであり、人事考課の拒否の点のみは、就業規則四一条三号の「指示命令に違反し」たものといえるものの、それをもって解雇することは解雇権の濫用に当たり、それ以外の点は、いずれも解雇事由には当たらないというべきであり、もとより、被控訴人のこれらの行為をもって争議行為又は怠業とみることはできず、業務妨害又は債務不履行は認められないから、この点に関する控訴人の主張を採用することはできない。

四  結論

よって、被控訴人の雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認の請求及び賃金の請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野寺規夫 小池信行 坂井満)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例